良かったこと。
うちの周りは地域猫が多い。
去年の秋頃、とても可愛い猫が新参者として現れました。
とても人懐っこく、みんなに可愛がられていた。
急に現れ、あまりに警戒心の無い態度に、飼い猫だろうと思っていました。
その割にはいつも外にいて・・・捨てられてしまったのかと思っていた。
でもその猫はとても伸び伸びと楽しそうに見えて、我が家の癒しでした。
だけど12月頃に、ぱったり見なくなった。
息子も娘もとても落ち込んでしまい、見ていられなかった。
・・・
・・・ ・・・。
その猫が最近、突然現れた!
やはり飼い猫のようで、時折脱走してるみたい・・・。
前ほどずっと外にいる訳ではなく、
いつでも会えるわけではないけど。
とても嬉しい。
小さな幸せ(*˘︶˘*).。.:*♡
何よりも息子と娘の喜ぶ顔が見れて嬉しい。
猫に感謝(ㅅ´꒳` )
親子なのに
私は息子を理解できない。
彼が何を見て、何を聞いて、どう解釈するのか?
理解ができない、母親失格です。
未来が見えない。
来年の3月には高校を卒業。
その後の息子の人生は?
そもそも卒業出来るのか。
18年間、他の方の当たり前が、息子にはなかった。
本人は友達が出来たと喜んでいても、話を聞いているとバカにされているだけ。
彼の言う友達は、学校以外で息子抜きで遊んだことを息子に話し、それをニコニコ聞く息子。
不憫に思い、代われるなら代わってやりたいと願った。
考え方を変え、他の方にとっての当たり前が、私たち親子には希少。
ならば、他の方より幸せに思えることが多いはずと言い聞かせ、何とか今日まで。
でも幸せに思えることはあまりなく、なんだかやり切れないと思うことばかり。
もう限界。未来が見えない。見えないならいっそ捨ててしまいたい。
非正規雇用で所得もとても低い。ダブルワークでへとへと。
おそらく息子は仕事につけない。
この子を養うために、働き続けるだろう。
でもその先は?私が働けなくなったら?
苦しい、こんな人生、懲り懲りだ。
不健康
ダメだ、心が不健康過ぎる。
私はもともと人との関わり方が分からない。
嫌われないようにと気を遣い、疲れてしまう。
本音で向き合える人がいないのだ、家族以外は。
家族がいるから孤独だと思うことは無い。
だけど、心が不健康になる時がある。
普段はスヌーピーが言っている「配られたカードで戦うしかない」と思っている。(ちょっと違うかな💦)
イメージでは、目の前に裏向きのカードが並んでいて、私がめくる・・・そして落胆。そんな感じ。ゲームみたいな。
だけど心が不健康だと、そんな事は思えず。
周りがみんな悪に見える。
例えるならコナンに出てくる黒い悪役。
なんだか疲れた、おやすみなさい(*˘︶˘*)オヤスミ~。.:*♡
酸素がうすい
心無い言葉ばかり。
どうして?
ひさしぶり
久しぶりの書き込み、前回の記事は果たしていつだったのだろう(;^ω^)
少し前にバスの中で素敵な女性を見ました。
仕事帰りのバスでとても混んでいました。
私は立って乗っていて、私のそばの席には40代くらいの女性が座っていました。
私の隣には60代くらいの女性がたっていました。
バスが停留所に到着し、降りる乗客がおりきるタイミングで席に座っていた女性が立ちました。
思わず、間に合うのかと思ったのですが、その女性が60代くらいの女性に席を譲ったのです。
声をかけずにそっと服に触れて、自分の席を指さして。
きっと乗客が入れ替わるタイミングを待っていたのだと思います。
とても自然に席を譲る姿がとても素敵でした。
私も彼女のように自然に人にやさしくできる方になりたいなと思いました。
発達障害検査のタイミング、間違えたなー。
息子は発達障害です。
初めて診断されたのは、3年前で問診のみでADHDの診断名でした。
正式名称は「自閉スペクトラム症注意欠陥多動性障害」という長ーい名前。
特にショックを受けることもなく、安堵するわけでもなく、
「そうなのかー」という感想でした。
それから1年がたち、テストのようなものも受けないまま診断されたことに違和感。
調べると、医師によって診断方法が異なるとのこと。
ならばと思いセカンドオピニオン。
県でも有名は病院にかかることにしました。
そこでは「問診ではなく検査をしてほしい。知的障害もあれば教えてほしい」
と、要望を伝え数回通院し診断が下りました。
ASDでした。自閉スペクトラム症です。知的障害に異常なしとのこと。
なぜ一度目との診断名が変わってしまったのか、それは担任からの報告です。
セカンドオピニオンでは、
学校の担任にも学校生活のアンケートを記入してもらう必要があり…。
アンケート用紙の内容的には「何の問題もない子」という結果でした。
提出物もほとんど出さず、物の管理もできず、机もロッカーも散らかっており、
小学校入学から現在に至るまで、散々言われてきたこと。
何も、アンケート用紙には反映されていませんでした。
そのため、「注意欠陥多動性障害」とは診断できないとのことでした。
医師の見解はとてもよくわかります。
家庭では「物の管理ができない子」だが、
教師から見れば「特に問題ない子」であれば、
「注意欠陥多動性障害」は判断できない。当然です。
担任の見解を優先したのではなく、
家庭と担任、両者の見解に相違があるため、
診断名には付けられないということです。
今回のことで思ったことはタイトルの通りです。
息子の担任は、今までの担当していただいた教師の中で、
最も信頼のおけない方です。
息子の特性もあり、私から学校へ連絡することがあり、
その都度話が二転三転するありさま。
提出するプリントが出されていないと言われ、家中探してもなく、
紛失したことを詫びるも「プリントは渡してませんよ」と言ったり。
逆もあり。
配布したと言って、配布してないと言ったり。
成績表も一部未記入ということもありました。
今回の担任でなければ診断名も変わっていたのではないかと思います。
非常に残念です。
病院ごとに検査方法は変わると言いますが、
学校のアンケートが必要である病院もあります。
もし、発達障害の診断を受ける方がいれば、
担任の先生が真摯に対応してくれるのかも考慮したほうが良いと思います。